木材と共に生きた昭和20年代
木材の搬送手段が自動車ではなかった時代、林業者は山小屋にこもり木を切り出し、筏を組んで下流の新宮へと搬出していました。川辺には川原町が作られ、子供たちが筏の上で遊ぶ、そんな昭和20年代の貴重な写真です(一部カラーのものは当時、入手困難であった薬品を使用した非常に珍しいものです)。

熊野川の上流に作られた山小屋。

この山小屋で1年の大半を過ごします。

当時は交通手段がなかったため、女性は徒歩で山小屋を目指しました。

山中であるため、ここに写っている子供たちも、この山小屋で生まれました。

今も昔も、この風景は変わりません。

仕事を終えた男の休息のひとときです。

男たちの仕事の成果が筏となって、新宮へと運ばれます。

こちらは当時では珍しい、車による搬送風景です。

夏場には筏の下を潜っては、大人たちに叱られていました。

現在の新宮貯木場があった付近の写真です。

河口への筏下り。少しでも気を抜けば、財産ともいえる材木が流れ去ってしまいます。

建設される前の1枚の写真です。

当時は、牛を利用して貨物等を運んでいました。

名実ともに、木材の街といわれた頃のセリの風景です。

川の流れを読みそこなうと、とたんに岸辺に木材が引っかかってしまいます。

ゆえに筏下りは、この熊野地方の名物といえるのでしょう。